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やまがたのオリンピアン・幾多の試練越え進化・2大会連続出場・池田めぐみさん(H10卒)
(2019年10月30日山形新聞より)


北京大会の女子エペ個人一回戦に勝利し、拳を突き上げる原田(現姓池田)めぐみ(H10卒)
=2008年8月、国家会議センターフェンシング館

 

 フェンシング女子エペの原田(現姓池田)めぐみ(H10卒)は2004年アテネ大会、08年北京大会に連続出場した。競技人生で2度の大けがを負ったが、「乗り越えたら、どんな姿になっているか。その好奇心をエネルギーにしてきた」と復活を遂げ、第一人者として道を突き進んだ。

 南陽市出身で、米沢興譲館高への進学を機に競技をスタートした。東女体大、筑波大大学院で技術を磨き、アテネ大会への出場権を獲得した。大学時代の右膝に続き、06年に左膝前十字靱帯断裂の大けがを負ったが、「乗り越えられるからこそ試練がある」と心に決め、リハビリに励んだ。願いが通じた北京大会は初戦を突破、2回戦で銀メダルを獲得した選手に敗れたものの、日本勢で過去最高の15位に入った。

 10年のアジア大会はエペ女子団体で金メダルを獲得。代表のリーダーを担っていたが、翌年に現役引退を発表した。記者会見では乳がんの手術を受けていたことを告白し、決断までの経緯を包み隠さず説明した。3大会連続出場の夢はかなわなかったが、「やりきって、やれるだけやって、後悔はありません」と明言した。

 12年以降に県体育協会(現・県スポーツ協会)のスポーツ指導員、「YAMAGATAドリームキッズ」のチーフアドバイザーなどを務め、後進の育成に携わる。活動のテーマはスポーツを通じた楽しさや成長、人とのつながりの重要性を伝えること。「(現役時に)順位だけに価値を見いだしていた反省」を踏まえつつ、アスリートとして得た「真実の言葉」を伝えている。

■夏季五輪の記録

  • 2004年アテネ大会 原田めぐみ=女子エペ個人28位
  • 2008年北京大会 原田=同15位

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