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私の先生のはなし・池田めぐみさん(H10卒) 
フェンシングのアテネ、北京五輪代表 県体育協会のスポーツ指導員
(2014年1月6日山形新聞より)


池田めぐみさん

 高校の顧問の言葉「試合では練習の3割 出せたらいい」
 中学まで陸上をしていてフェンシングを始めたのは高校入学後。顧問の小原秀樹先生は一般的な先生やスポーツ指導者のイメージとは少し違う。私の印象だが、指導法が「来る者は拒まず、去る者は追わず」。成都に判断を委ねてくれた。結局試合をするのは私。試合の場でやれるかやれないかということを重視して育ててくれた。
 忘れられないのは「試合では、技や練習したことの3割発揮できたらいい。あとの7割は気持ちだから」という言葉。「やってきたことができない」という時にも「そりゃ、3割しか出ないからね」って。私はそんな視点を持っていなかった。染み込んできたのは3年のインターハイ前。それまでも言われていたんだと思うけど、自分自身も気付いて、言葉の意味を理解したのがその時だった。
 私は振り切って頑張ってしまうことが多く、猪突猛進のタイプなんだけど、この感覚はスポーツだけでなく、日常生活、人生でもすごく役に立っている。無理しても、体調などの準備がきちんとできていなければ、本番のパフォーマンスは下がる。仕事でも、そういう準備をきちんとできないのなら無理しない方がいい、と自分をセーブできることにつながった。
 「フェンシングだけが自分の人生じゃない」というのは高校時代、小原先生に様々な場面で気付かせてもらっていた。だから、五輪に出ても、五輪は一つの事象で通り過ぎるもの、その先もあるのだ、と考えていた。そういうことを当たり前のように考えられたのは、高校時代に先生が気付かせてくれたことが大きく影響していると思う。
 個々を尊重し「考えろ」。そこから進化できた
 小原先生から教わったのは、頭を使うということ。技は型稽古のような感じでたくさん練習したが、戦術を「ああしろ、こうしろ」と言われたことはない。個々を尊重してくれるスタイルの先生だった。私は説明がなかったり、意味がわからないのに「ああしろ、こうしろ」と指図されるのが嫌い。小原先生は「なんでできないんだ?」と否定するのではなく、「考えろ」。先につながる一言を言われ、そこから進化していったので気持ちがよかった。
 小原先生に誘われて高校でフェンシングを始めて、フェンシングが純粋に好きになって、いけるところまでいった。昨年だったか、小原先生に久しぶりに会い「フェンシングしないのか」と言われた。病気をした後、フェンシングに関しては「やる気も起きないし、やりつくした感もある」と思っていた。小原先生はその気持ちをわかっていたんだと思うけど、「好きだったら、競技じゃなくても、またいつかやり始めればいいんじゃないか」って。先生に言われるまで、かたくなに「もういいや」って思っていたのが解けた気がする。もうちょっと落ち着いたり、やろうかなと思う時が来たら、またフェンシングをやってもいいかな、と思わせてくれた。

■池田めぐみ 1979(昭和54)年生まれ。南陽市出身。赤湯小、赤湯中、米沢興譲館高、東京女子体育大を卒業、筑波大大学院体育研究科修了。アテネ、北京五輪のフェンシング・エペ日本代表。2011年に現役引退し、12年から県体育協会のスポーツ指導員を務める。

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1月6日山形新聞