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自然エネルギーから発電・思いは?東北おひさま発電社長・後藤博信さん(74・S40卒)
(2020年10月18日朝日新聞より)


東北おひさま発電社長・後藤博信さん(74・S40卒)

 故郷を失わず 自立するために

 自然と共生する循環型社会を拓く―。そんな社会像を掲げるのが長井市の「東北おひさま発電」だ。太陽光やバイオガスなどを活用した発電所を展開し、エネルギー面での自立を目指す。思いや事業展望について、社長の後藤博信さん(74・S40卒)に聞いた。

 ―現在、どんな事業を手がけているのですか?

 太陽光発電所を長井市内で2カ所と、福島県いわき市と南相馬市で1カ所ずつの計4か所運営しています。長井市内では農業用水路を使った小水力発電も手がけています。

 7月に牛の糞尿を発酵させて活用するバイオガス発電所が飯豊町に完成しました。年間に一般家庭900世帯分の消費電力を発電できる見込みで、肉牛の糞尿を使う発電所では、この規模は全国でも初めてです。

 原発事故が契機

 ―なぜ、こうした事業を始めたのですか。

 会社設立は2013年3月。この年の8月に長井市の太陽光発電所の運転を始めました。

 きっかけは11年3月に起きた福島第一原発の事故です。当時、私は飯豊町の副町長でした。福島県から大勢の避難者が町に来られ、そのお相手をし、交流する中で、ふるさとを失うつらさを強く感じました。どうしたら良いのか―。この年の夏、副町長を退任した後も考え続けました。

 気づいたのは、私たちが暮らす東北は自然エネルギーの宝庫だということです。太陽、水、風、生物資源・・・。自然から生まれ、尽きることのない力があります。その恵みに感謝しつつ、クリーンな電力に変えていく。地域の自立にもつながると思いました。

 相談役を務める建設会社の経営陣と環境創造型の事業をどう展開するかというコンセプトを共有して立ち上げたのが、東北おひさま発電です。66歳でした。

 市場主義に疑問

 ―かつては金融ビジネスマンだったそうですね。

 大学卒業後に、証券会社に就職しました。約40年間、金融の仕事をし、関連会社の社長を務めていた09年、「ふるさとに帰ってこないか」と飯豊町に声をかけられ、戻りました。

 当時は人間を置き去りにし、全てを市場に委ねる行き過ぎた市場主義に違和感を感じていました。ふるさとの自然の中で暮らして、社会を違う角度から見たいと思いました。

 ―今の事業はうまくいっていますか。

 順調です。従業員は6人ですが、少人数でできる事業です。バイオガス発電所は9月から発電を始める予定でしたが、発電に使うメタンガスを生む発行が遅れ気味で、1カ月ほど後ろにずれそうです。スピード感を持って成果を見せたいのですが、自然相手では思うようにはなりませんね。

 ―今後の事業展開をどう考えていますか。

 バイオガス発電所を中心に週3、4件、企業や学校からの視察を受け入れています。事業内容を伝え、私たちの思いも広めたいと思っています。

 視察に訪れた人たちに伝えているのは、地域に根付き、地域の資源を使ってエネルギーを確保し、地域の自立につなげるということです。自然をねじふせる経済ではなく、自然と共生し、エネルギーや経済を生み出すということでもあります。そういう社会こそが、持続可能だと思うのです。

 ■後藤博信(ごとう・ひろのぶ) 飯豊町生まれ、中学卒業まで同町で過ごす。県立米沢興譲館高校、早稲田大政治経済学部卒。1970年、野村証券入社。同社副社長や野村総合研究所副会長を歴任。2009年に飯豊町に戻り、約2年間にわたって同町の副町長を務める。退任後、長井市の那須建設相談役に就任し、13年から現職。

地域に学び未来つくる・東北おひさま発電社長・後藤博信さん(2018年12月28日山形新聞)