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豊穣の輝き次代に託す・農民詩人星寛治さん自叙伝出版
(2019年9月18日山形新聞より)


激動の人生をまとめた「自分史」を手にする星寛治さん。
約45年前に初めて友紀稲作を実践した田んぼに立った。=高畠町元和田

 次代への遺言の意味を込めて―。日本の有機農業の草分け的存在である高畠町元和田の農民詩人星寛治さん(84・S29卒)が、自叙伝「自分史 いのちの磁場に生きる」を出版した。自然と調和した農法を模索し続けた激動の人生を453ページに集約。人生の転機となった場面には自ら「感性の脈拍」とする詩を挟み、当時の思いを未来に託した。

 有機農業者、詩人、教育者と、多くの道を歩んだ星さん。80歳を迎え、大病も患った2015年、「残された時間はそう多くない」とペンを握った。20代から描き続ける日記を基に、時系列で幼い頃からの出来事を克明につづり、「田植えするようなしぐさで原稿用紙の升目を埋めたんだ」と笑う。

 人生の大きな転機となった有機農業への挑戦は、農業近代化の波にのまれた30代半ばだった。化学肥料を与えて成長を急がせた10年目のリンゴの木が病気で壊滅。わが子のように苗木から育てただけに悲しみは大きく、2日間寝込んだ末に「健康な土づくりから再出発する」と奮起した。

 「まっとうな道 歩く」

 1973(昭和48)年、若手農家で町有機農業研究会を結成。化学肥料、農薬、除草剤は一切使わないと決めた。周りの人々は「頭がおかしい連中」「嫁殺し農法だ」とからかったが、「まっとうな道を歩いている」との信念があった。2年後、記録的な冷害で白茶けた水田が広がる中、会員の「生きている土」の田んぼは黄金色に輝いた。生き物が生命活動を繰り返していたからだ。

 「自分史」の「冷害に克つ〜生きている土の力」の項は、有機農家として生きる覚悟を込めた詩を添えた。

 鳥が舞い 虫うたい 子らの喚声がみなぎる この列島の風景を 失うまいと ひつしに思う(「みのる時」の一部)

 ほかに、病に伏した時の「先端医療に命運を託す」。命をつないだ際の「回生への誘い」、そして「若い担い手の誕生」など年ごとに項を設け、計13の詩をちりばめた。

 受け継がれる意思

 近年、高畠で有機農業の若い担い手が次々と生まれている。今春には孫の航希さん(22・H27卒)が、山形大農学部を卒業して就農した。星さんが守り続けた田畑を耕し、航希さんは「先人が積み上げてきた重みを感じる。自分なりに有機農業をつないでいきたい」と話す。

 今年もべっ甲色の稲穂が実った田んぼに星さんは立った。「遺言」とする一冊を手に言葉に力を込める。「子や孫に引き継ぐ田畑は永劫の文化遺産。文化として農の営みを受け継いでほしい」

 「自分史 いのちの磁場に生きる」の出版元は清水弘文堂書房。3,500円(税別)で県内の主な書店で販売している。

【プロフィル】 ほし・かんじさんは1935(昭和10)年高畠町生まれ。コメや果樹などを栽培し、74年から仲間とともに有機農業を実践。生産者と消費者を直接つなぐ独自ルートをつくり、都会から多くの移住者も呼び込んだ。同町教育委員長、たかはた共生塾長などを歴任。山形市の詩人真壁仁に師事し、詩や評論、エッセーを多数執筆。主な著書に詩集「滅びない土」、エッセー「農から明日を読む」など。2010年度の斎藤茂吉文化賞を受けた。

農民詩人・感性耕す喜び・星寛治さん(2018年1月4日朝日新聞)
他人に役立つ人生誓う 農民詩人・星寛治さん(2017年7月21日毎日新聞)