この人 上野謙二郎さん(78・S27卒) 初の合唱祭で実行委員長 手術後奮起しリサイタル
(2012年5月24日米沢新聞)
上野謙二郎さん(78・S27卒)=米沢市
「これだ」とベッドから跳ね起きた。当時67歳。衝撃が走った。2年後、シューベルトの難曲「冬の旅」を歌う単独のバリトンリサイタルを開いた。古希を目前にした大きな挑戦だった。
このほど開かれた「第1回米沢市合唱祭」では実行委員長の大役。「市内合唱団の勉強の場を作りたかった」。参加者からは「他団体の歌を聞いて参考になった」と好評で、大きな手ごたえを感じた。
大学卒業後に中学校の音楽教師になった。当時は“でもしか先生”の時代。「先生でもするか」と職に就いたものの、「良い時代に教師ができて楽しかった」と懐かしむ。
川西町の新山中学校(現川西中)に赴任した際には、荒れていた吹奏楽部を県大会で金賞を取るまでに育て上げた。「正月三が日以外はほとんど学校で部員たちと付き合う毎日でした」。
電車で川西町に通勤すると、部員が出迎え、帰りもお見送りがあった。生徒たちからは慕われ、周囲からは「変わり者の先生」と噂になった。
退職後に66歳で胃ガンが見つかったが、早期発見のため約1カ月後に退院。それでも気力が落ちていた時に「退職後に一念発起して『冬の旅』のリサイタルを開いた」というエッセーを読み、衝撃でベッドから飛び起きた。合唱部を指導した経験もある。「負けてられるか」。
03年に初のリサイタルを開き、隔年開催で5回目を数えた。終わりにしたいとも思うが、周囲が熱心に継続を勧める。「合唱祭は続けるけど…」とためらうのは、妻から「いい加減に止めなさい」と言われているから。
米沢市下花沢二丁目、78歳。
喜寿・バリトン熱唱・元音楽教諭、米沢で来月13日公演(2011年10月19日朝日新聞)