藩校興譲館、米沢中学、米沢一高、米沢西高、米沢興譲館高と続く米沢興譲館同窓会公式サイト

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巻 久(まき ひさし)先生

巻先生

  1. 巻 久(まき ひさし)先生
  2. 昭和50年4月〜昭和59年3月 9年間
    平成10年4月〜平成15年3月 5年間 ※第33代校長
  3. 数学
  4. フェンシング:昭和50年4月〜昭和59年3月(9年間)
  5. 羽陽学園短期大学に勤務しております。
    仕事のかたわら、登山、ウオーキング、スキーなど、アウトドアを楽しんでおります。
  6. 数学科の目標「打倒山東」が、共通一次試験が始まった昭和54年前後からしばしば実現するようになり、そのご褒美に、そのたびごとに「鳥勝」ですき焼きパーティを行ったこと。
    フェンシング県大会で、男女団体がアベック優勝をとげたこと。当時、女子部員が少なくて至難の業でしたが、先輩方々のご指導によって実現したものです。
    国家的プロジェクトSSH(Super Science High School)に立候補し、全国26校の仲間入りを果たしたこと。多額の国家予算をいただていて事業を展開しました。「大学と連携する事業」など、当時の成果が県内外に波及している点、感慨無量のものがあります。
    平成13年の夏、甲子園予選(夏の県大会)で20年ぶりにベスト4入りを果たしたこと。バスを連ねての全校応援、日大山形との準決勝は石黒修平君のアウトで幕を閉じました。その石黒君、現在、山形二中で数学教師として活躍しております。やはり、文武に励んだことが生きがいとなっていると語ってくれました。
    マラソン大会での出来事。70、80人の生徒がスズメバチの大群と遭遇。A君などは13か所も刺されたが思いのほか元気で、高校生のパワーに圧倒されました。校医の先生を始め、三友堂病院の先生方には本当にお世話になりました。
    “上杉 スピリット”を少しでも理解すべく、春日山城に旅したこと及び、同僚三人で、鷹山公が下向したと思われる 板谷〜上杉神社間を一日がかりでウオーキングしたこともとても懐かしい思い出です。
    「藩学創設300年」の記念事業に巡り合い、あのように豪華な記念講堂が完成しました。以来、入学式・卒業式が一層厳粛に行われ、著名人によるコンサートや講演会が開催できるようになりました。有為な人材を育成していく上で少なからず寄与している点、改めて厚く御礼申し上げます。
  7. 昨今、プライバシーとの関連から、例えば同窓会名簿が休刊に追い込まれるような事態が全国的に起きているようです。
    このような折、同窓生が母校に寄せる思いの強弱は、あの多感な高校時代の3年間に心ときめく経験をいかにしたか(経験させたか)にかかっていると確信します。
    いわゆる「進学校」と呼ばれるような高校にあっては、勉学だけがすべてであるような誤解のもと、それ以外の活動を認めないか、極度に制限するところが見受けられます。
    ある国立大学の調査によれば、社会人を無作為に抽出し、「15歳時における体験」と「社会人になってからの生きがい」との相関を調査した結果、「(受験勉強などの)学習体験」、「(部活動や自治会活動などの)友達体験」、「(お手伝いやボランティアなどの)家庭・地域体験」(『3体験』)を積んだ人が、社会人になってから生きがいを感じている割合が最も高い傾向にあると述べております。
    今、各界で「持続性( sustainability)」が課題になっておりますが、この視点から考察すれば、「興譲館(同窓会)の持続性は「『3体験』にあり」と考えてみてはいかがでしょうか。
    興譲館(同窓会)の益々の発展を祈念いたします。