定時制閉校記念碑 友于
昭和56年、大正15(1926)年の私立米沢夜間中学校開校以来55年間、卒業生2480名を数える米沢興譲館定時制の閉校に際し建設されたもの。藩政時代、通学生を教育した友于堂にちなみ、碑に『友于』と入れられた。当事の学校長山上一郎氏の揮毫により『大巓の峰にかがよう青雲は/はたらき学びし意気心・・・』とある。文中『青雲』は戦後の定時制の生徒会誌『青雲』にちなんだものである。
昭和56年、大正15(1926)年の私立米沢夜間中学校開校以来55年間、卒業生2480名を数える米沢興譲館定時制の閉校に際し建設されたもの。藩政時代、通学生を教育した友于堂にちなみ、碑に『友于』と入れられた。当事の学校長山上一郎氏の揮毫により『大巓の峰にかがよう青雲は/はたらき学びし意気心・・・』とある。文中『青雲』は戦後の定時制の生徒会誌『青雲』にちなんだものである。