藩校興譲館、米沢中学、米沢一高、米沢西高、米沢興譲館高と続く米沢興譲館同窓会公式サイト

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第10回 受け継がれる信念―興譲館高校長インタビュー―(2014年4月19日毎日新聞山形版)

 第九代藩主上杉鷹山(1751〜1822年)が1776年に創設した藩校「興譲館」の後身、県立米沢興譲館高(生徒約600人)の大貫英一校長に、同校の教育理念や鷹山の教えをどう伝えているか聞いた。


大貫英一・米沢興譲館高校長

 ―教育理念は。

 校是「『興譲』の精神」に象徴されます。「自他の生命を尊重する精神」「己を磨き、誠をつくす精神」「世のためにつくす精神」の3項からなり、現校舎が完成した1987年にできた理念です。私たちは、ことあるごとに「『興譲』の精神」を生徒たちに話します。

 ―「興譲」とは何ですか。

 「譲の心を興す」という意味で、「譲」とは、他者を思いやる心です。上杉鷹山の師で儒学者の細井平洲(1728〜1801年)が創立時に「興譲館」と命名しました。

 ―鷹山が後世に残した教育の精神は。

 平洲から学んだ教育は「人づくりは国づくり」という信念に根ざしていると思います。「人が最も大切な財産」という精神は今日まで、興譲館の先輩から後輩へさまざまな形で受け継がれています。

 ―鷹山の教えをどう伝えていますか。

 鷹山の出身・高鍋藩のあった宮崎県の県立高鍋高と本校は、2000年から学校間交流を始めました。生徒が、毎年、相互訪問し、鷹山と平洲を知る機会となっています。01年には生誕250年祭「鷹山フェスティバル」を開催しました。

 ―現在の高校生をどうみますか。

 少し大人しく、周りへの気遣いに腐心して、目立つことを好まないようです。でも、純粋で素直なだけに、経験値を積み上げることで、大きな可能性を秘めていると思います。

 ―現在の生徒たちに贈る言葉は。

 社会の荒波を乗り切るためにも、自分の心と頭で考える力と、諦めずに立ち向かい続ける勇気を身につけてほしいと思います。それこそが鷹山が実践した精神だと考えます。


 人間教育を重視

 上杉鷹山が後世に残した教育の精神を、米沢市内の学校を中心に取材しながら考えてきた。
 鷹山は、米沢藩内に新たな産業を興し、人材を育成し、生涯をかけて藩の財政再建を果たした。しかし、鷹山は後世にそれ以上のものを残したと思う。
 約200年後の現在も、米沢市民の間には、鷹山への畏敬の念と、その教えが脈々と生きている。
 「教育」という言葉は儒教の中にあり、鷹山も使っていたことは鷹山の伝記資料「鷹山偉蹟録」(甘糟継成著、1862年)で確認できる。同書には鷹山の教育精神が随所に記されている。
 鷹山は知識を大事にした。米沢市立図書館に保管されている鷹山が愛読した書物群「鷹山公御手沢本(ごしゅたくぼん)」の中には、天文学や弓学の本もあり、知識をどん欲に求めていたことが分かる。
 しかし、鷹山は知識習得の土台に心を置いた。それは鷹山の師・細井平洲の教えでもある。2人とも、教育の大本は人間教育であることを理解していた。

【佐藤良一・S52卒】

4月19日毎日新聞山形版