藩校興譲館、米沢中学、米沢一高、米沢西高、米沢興譲館高と続く米沢興譲館同窓会公式サイト

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第4回 郷土を愛し 尽くす―つながる同窓生の気持ち―(2014年4月11日毎日新聞山形版)

 県立米沢興譲館高の卒業生に共通する強い思いがある。郷土愛だ。「学び育った米沢をはじめとする置賜地方を大切にして、郷土のために尽くそうとする意識が強い」。同窓会長の大友恒則さん(72)はそう語る。
 第九代藩主上杉鷹山(1751〜1822年)が1776年に創設した藩校「興譲館」は、明治維新後に旧制中学、第二次世界大戦後に新制高校、そして1956年に現在の県立米沢興譲館高となった。「上杉鷹山以来の長い歴史への誇り」が郷土愛の根底にあると大友さんは考える。 


米沢興譲館同窓会長の大友恒則さん=米沢市口田沢

 同窓会のホームページには「興譲館精神」という長大論文が掲載されている。「興譲館精神とは何であろうか。それは、失われた過去の単なる遺物であろうか」の問いかけで始まる。
 1956年、当時の校長、千喜良英之助(1896〜1965年)が構想し、教頭の奥山政雄が文章化した。上杉謙信(1530〜1578年)から歴史をひもとき、鷹山の教えと生き方に「興譲館精神」を読み取っている。その内容は、第1に命を尊ぶこと、第2に自分の職責を果たすこと、第3に学び実践することを掲げる。
 「興譲館精神」は後半で「譲とは何か」を問いかける。
 「雪の深い一本道で誰かが出会ったその時に、自ら避けて人を通そうと思う心は、素直な人間の自然にとる道であろう」
 「譲」とは「己の生命をいとおしむが故に、人の生命をもまたいとおしむ心の発露である」と説く。
 沿革史「興譲館世紀」(松野良寅編)に千喜良の実弟・中沢三郎の回顧が載っている。
 「中学3年のころから、兄はルソーの『エミール』を読み出し、人を教育することに興味を持ちだし、『俺は教育者になる。貧乏な農民の味方になるような人をたくさん養成したい』と異常な熱意で言うようになった」
 千喜良の志は少年のころから変わらなかった。
 現在の米沢興譲館高の校是「『興譲』の精神は、「自他の生命を尊重する精神」「己を磨き、誠をつくす精神」「世のためにつくす精神」の3項からなる。千喜良の熱い思いは今も受け継がれている。

 興譲館は創立から239年たつが、これまでどれだけの卒業生を生み出したのか、同窓会登録人数は2万人以上。大友さんも正確な人数は分からないという。同窓会組織は現在、東京支部、関西支部を含めて12支部ある。
 2000年、累々とつながってきた同窓生から3億円の寄付が集まり、1000人収容の講堂を校舎横に建てた。郷土のために尽くし、人材育成を重視する気持ちが形となった一例だ。

【佐藤良一・S52卒】
第5回 生命いとおしむ心―戦争と千喜良英之助―につづく

4月11日毎日新聞山形版