藩校興譲館、米沢中学、米沢一高、米沢西高、米沢興譲館高と続く米沢興譲館同窓会公式サイト

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歴史は観光の大要素・米沢城二の丸の活用期待・50周年へ企画を模索
(2021年6月9日山形新聞より)


米沢御堀端史蹟保存会会長・関原謙一さん(S43卒)

 当会は、荒れ果てていた上杉鷹山公の隠居地である餐霞館(さんかかん)跡地の整備を目的に結成されました。その後、戊辰戦争で米沢藩を守った「色部長門追念碑」、弁天通り商店街の由来となった商売の神「巳なる金弁財天」、戊辰戦争・西南の役・日清日露戦争の戦没者を祀った「招魂碑」の歴史的意義を広めて顕彰し、来年は設立50周年を迎えます。

 米沢藩初代藩主・上杉景勝公の家臣、直江兼続を描いたNHKの大河ドラマ「天地人」が放送された2009年には、これまでにない多数の観光客が米沢を訪れました。大きな経済波及効果をもたらした事象は、多くの市民の記憶にあると思います。

 私は景勝公の居城である米沢城二の丸の真南に住んでいます。しかし、二の丸には現在、NHKの放送中継所のアンテナと支線が張り巡らされ、歴史ある城跡の風情を著しく害している感があります。

 「小説上杉鷹山」(学陽書房、1983年)の著者童門冬二氏が米沢を訪れ、この景観に「ふさわしくない」旨の発言をされています。史実によれば、二の丸には上杉謙信公を祀る20もの寺院があり、連日の読経は城下にまで聞こえたといいます。全国に数ある城の中でこのような例は見当たりません。

 しかし、このたびの国会質疑でNHKが「現在の建物とアンテナを2023年度までに移転し、24年度にその跡地を市に返還する」と答弁しました。地域住民の一人として、ようやく結論が出たことは喜びに堪えません。当然のことながら、この跡地は観光資源として開発することになるでしょう。当会としても早速、市行政に要望や意見を申し上げていきたいと思います。

 折しも、来年は景勝公の四百回忌と当会の50周年が重なるため、周年事業として「何故、米沢城内に多くの寺院が存在したか?」をテーマにした企画を模索している最中です。

 豊臣秀吉時代の五大老である名門上杉氏の居城は天守閣もなく、平城造りの地味な城跡で「これが城跡ですか?」といぶかる観光客が多いとも聞きます。しかし天守閣はなくとも、この二の丸が天守閣の景観以上に物語性のある観光資源となることを願っております。

 会長を拝命して感じたのは「若い方の会員増強」が必要だということです。発足当時は五百数十人の会員を擁した当会ですが、現在は300人そこそこと数を減らしています。そこで、会員増強策を検討した結果、今年10月10日に「上杉衆これぞ芋煮会」と題して芋煮会を開催することにしました。

 「なぜ芋煮会なのか?」につきましては「上杉氏(景勝)が越後から会津に移封される旧8月15日、サトイモや野菜を持ち寄り地元民との別れの宴が開かれ、現在でも上杉武士の末裔はその日をしのんで芋煮の宴を開いている」との伝承によるものです。米沢女子短大、山形大の学生さんにスタッフ参加をお願いし、立ち上がりの費用と新規会員の獲得を期待してクラウドファンディングを通じて全国に発信しました。

 当会は「観光は産業であり、歴史はその大きな要素である」を念頭に、今後も活動を継続する所存です。市民の皆さんのご理解とご参加を賜りたいと願っております。(米沢市在住)