藩校興譲館、米沢中学、米沢一高、米沢西高、米沢興譲館高と続く米沢興譲館同窓会公式サイト

ホームページロゴ

米沢で愛されたカマキリハンドル・お下がり脈々と継承
(2020年01月01日山形新聞より)


前山亮一さん(S39卒)の店に眠っていた30年近く前のカマハン改造自転車=米沢市

 米沢市内で数年前までよく見かけた「カマキリハンドル」の自転車。グリップの位置が極めて高い特徴的な形で「カマハン」「カマチャリ」と呼ばれた。ちょい悪な印象だが、米沢では以前から多くの中高生が男女問わず愛用していたようだ。ではなぜ米沢で多く見られたのか。平成末期までレトロな香りを漂わせていたカマハンの謎に迫る。

 そもそもカマハンが登場したのは1980年。ブリヂストンが発売したハンドルの形が特徴的な「カマキリ」という自転車だった。全国的に人気を博し、当時の中高生は自分の自転車も「カマキリハンドル」に改造してほしいと街の自転車屋に駆け込んだという。ここまでは全国的な話だ。

 一過性のブームとして姿を消す地域が多い一方、米沢がひと味違ったのはその改造自転車が継承されたという点だ。高校を卒業する先輩から部活の後輩へ。兄から弟、妹へとカマハンは代々引き継がれた。普段はお下がりカマハンで学校に通いながら、自転車点検日には自分の通常ハンドル自転車で登校したという車検逃れのようなエピソードも伝わっている。

 米沢女子短大の伊豆田義人教授(社会情報学科)は特異な若者文化に興味を持ち2017年、市内の高校生にカマハン意識調査を実施した。伊豆田教授によると、生徒はこの風習を「地元の風物詩」と捉えていると言い、「カマハンは結束や団結の証しとして定着した」と分析した。

 しかし近年、その姿を見かける機会は大きく減っている。門東町3丁目で「サイクルハウス前山」を営む前山亮一さん(74・S39卒)によると、カマハン自体の操作性に問題は無いが、逆手で握ったり無理に前傾姿勢をとったりする危険運転が相次ぎ、学校が大規模な規制に踏み切ったことから、その存在は今や風前のともしびとなっている。

 とはいえ米沢の地で、先輩から後輩へとカマハンは脈々と受け継がれてきた。先人の教えを大切に受け継ぐ精神に富んだ、米沢ならではの文化と言えようか。

本県産業に貢献6人をたたえる・商工観光功労表彰式・前山亮一さん(2018年2月17日山形新聞)