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米沢の心育んだ60年・「小中学生新聞」先月340号で幕
(2019年6月8日山形新聞より)


創刊時の紙面と最終号を見比べる米沢児童文化協会の橋捷夫会長(S37卒)

■編集メンバー減少、活字離れ進み

 米沢市内の子どもならだれもが知っている存在だった「米沢小中学生新聞」が発刊から60年、340号で幕を下ろした。「米沢の心を育てたい」を編集方針に掲げ、米沢児童文化協会(高橋捷夫会長・S37卒)が郷土史などを伝えてきた。学校を退職した元教諭らが取材、編集を務めていたが、高齢などを要因に少人数となり5月に発行した紙面が最後。関係者は「昭和、平成と続き最後の紙面に『令和元年』を刻んで終止符を打った」と話している。


340号の紙齢を刻んだ米沢小中学生新聞の最終号

 敗戦後の混乱から立ち直り、意気盛んだった1958(昭和33)年1月、郷土愛を語り、子供たちの将来に夢を託す大人の責任を果たそうと、元米沢市議などを務めた吉野正八氏(S11卒)が企画した。米沢西部小の校長などを務め、児童文化運動で活躍した高森務氏(S3卒)らも参画し、年4、5回のペースで、上杉家重臣の直江兼続や米沢で生まれた伊達政宗など郷土の歴史に加え、各学校を紹介するコーナーもあった。

 創刊当時は2万部を発行し、小中学校を通じて全生徒、児童に配っていた。オールカラー化、写真やイラストを多用したビジュアル化など時代に合わせた紙面構成を図ってきたが、近年では子供の活字離れが進み、対応する編集メンバーも高齢化の影響で時代のニーズに応えることが困難となっていた。さらに協賛会員からの会費、市からの補助などで賄っていた運営資金も先細りとなっていた。

 市民活動として長く子ども向けの新聞を発行してきた事例は全国的にも珍しく、1991年には発行元の米沢児童文化協会が本県の芸術、学術分野で顕著な功績をあげた個人、団体を顕彰する斎藤茂吉文化賞を受賞している。

 高橋会長は最終号の掲載記事を決めるにあたり「原点」の視点で考察した。1面に、この新聞が始まった昭和30年代の風景や生活を同市在住の人形作家・中村隆行さん(S50卒)が作った紙人形で紹介。2面に上杉鷹山公の功績を改めて詳報した。

 高橋会長は「これまでの児童文化活動が果たしてきた歴史的価値について引き続き語り継いでいく。新聞を発行してきた米沢児童文化協会は存続する。今後も市芸術文化協会と連携、共同で可能な限り活動していきたい」と話している。

6月8日山形新聞