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江戸の力士「小汐山(おしおやま)」、米沢藩主から拝領
化粧まわし川西の生家へ・60年ぶり南陽の研究家が譲る
(2018年10月20日山形新聞より)


生家に戻った化粧まわしを見つめる小林幸子さん、吉村敏明さん、小形芳美さん(S49卒)

 川西町玉庭出身の江戸時代の力士「小汐山」が米沢藩主から拝領した化粧まわしが、約60年ぶりに生家の吉村敏明さん(83)宅に戻った。獣医師で相撲研究家の小形芳美さん(63・S49卒)=南陽市萩=が小汐山の物語を書籍にまとめたのを機に、所有していたものを譲った。 化粧まわしとの“再会”を果たした吉村さんは「家宝として長く大事にしていきたい」と喜んでいる。

 小汐山は本名を吉村五右衛門という。1769(明和6)年に玉庭の足軽の家に生まれ、江戸などで活躍し、97(寛政9)年に20代の若さでなくなったとされる。化粧まわしに関しては諸説あるが、米沢藩主に従って江戸に行った際、江戸相撲の大関を破り、その褒美の一つだったと伝わる。

 朱色の字に黒色で「小汐山」の文字が入り、生家で受け継がれた。地元出身の絵師狩野文信(1890〜1976)もこれをつけた小汐山の絵を残している。一方、小汐山のしこ名は2代目、3代目と受け継がれ、化粧まわしは約60年前に吉村家から県内の2代目の子孫に渡ったという。

 小形さんは獣医師として玉庭地区の農家などを回っていた際に小汐山の存在を知った。30年ほど前、古美術商から化粧まわしが県外に流出する恐れがあると聞いて買い求め、研究を深めた。


「米沢藩力士譚 小汐山夢ふたつ」。狩野文信の小汐山肖像を表紙に使った。

 集めた資料から生存が伝承よりも前で、江戸以外に京都でも活躍し、しこ名は京都にある「小汐山」から付けられたことなどを突き止めた。さらに、小汐山は米沢での相撲興行を取り仕切っており、その褒美として9代藩主・上杉鷹山から化粧まわしを授かった可能性もあるとした。今年9月に「米沢藩力士譚 小汐山夢ふたつ」を出版した。

 小形さんは吉村さんに書籍を届け、その際に「研究が一区切りついた、化粧まわしはあるべき場所に」と打診し、譲渡が決まった。戻るにあたり、小形さんや吉村さんの家族が集まり、小汐山を題材にした昔話を伝承している、小林幸子(ゆきこ)さん(82)=同町上小松=の紙芝居を鑑賞して思いをはせた。

 吉村さんは子供のころに化粧まわしを見た記憶があり、久々に目にし「保管状態も良くて感謝しています」と喜ぶ。息子の邦雄さん(59)は保管と観賞用の箱をきり材で作った。小形さんは「郷土の偉人として、小汐山のことを多くの人に知ってほしい」と話している。

 化粧まわしは21日まで、玉庭地区交流センター四方山館で開催中の狩野文信作品展で公開している。

10月20日山形新聞