藩校興譲館、米沢中学、米沢一高、米沢西高、米沢興譲館高と続く米沢興譲館同窓会公式サイト

ホームページロゴ

私と同窓会・『興譲』の精神の継承・遠藤岩根さん(S34卒)
(同窓会のチカラ 2018 Vol.10より・サラト発刊)


 母校同窓会は五年ごとに同窓会名簿を発行してきた。平成18年からサラトさんにお願いしてきた。この時の「編集を終えて」に、当時常務理事の任にあった私が次のように書かせてもらった。

 「雪国に住む我々が待ちに待った季節を迎えた頃、名簿発行で今回からお世話になったサラトから次のような連絡が入った。『調査対象者23607名、判明率が83.1%。更に名簿予約販売計画も結構良い線までこぎつけている』と。

 そして今回の28年度版発行にあたって「個人情報云々のこのご時世に名簿は必要なのか」理事会などで話し合いを重ねてきたが、結局「正確な名簿は良い同窓会活動の土台」との思いから発行の継続を決定した。そしてサラトさんによる三回目の名簿が出来上がった。

 その表紙に「米沢興譲館創立130年」と「藩校興譲館240年」と印字されている。

 思えば私が入学を許されたのは1956年(昭和31年)である。その頃も『凱歌』、栄えある歴史三百年、連綿尽きぬ興譲の・・と歌っていた。母校の創立はいつなのか今でも時おり話題になる。本校の歴史を語るとき、直江兼継の「禅林文庫設立」(1816年)までさかのぼれば丁度400年。四代藩主上杉綱憲の学問所(1697年)を起点にすれば300年を過ぎてしまった。そして藩校興譲館240年は、上杉鷹山公の師、細井平洲先生によって『興譲館』と名付けられた1776年から数えたもの。さらに学校令がしかれた1886年の『米沢中学校』から数えれば130年という事になる。なおこの年の開校式(9月19日)が現在の本校の創立記念日の由来である。嘗てはこの日に毎年同窓会の集いを実施してきたが、数年前から働き盛りの若者の多くの参加も期待して、この日に近い土曜日に変更している。

 ところで三代前の松野同窓会長が『興譲館の絆』という題で次のように記しておられる。

 「五年ごとに発行される会員名簿をひもときながら、各人各様の感想を抱かれることであろう。消息不明の級友の居所が判明したり、最近まで災息だった友が不帰の客となっていたり、悲喜こもごも。そして五年分の後輩のページが増えて、「降る雪や 明治は遠く なりにけり」という明治生まれの感慨を、大正・昭和生まれも否応なしに痛感される向きもあるかもしれない。さて、望ましい同窓会員名簿とはどんなものであろうか。まず一貫性があり、正確であること。そして古い先輩の足跡が残るもの。つまり同窓生の絆として役立つものでなければならない」

 ちょっと引用が長くなりましたが、このような思いを実現するには、各学年の結束と卒業生各人の母校愛、そしてサラトさんのご協力にお頼りするほかありません。

 これからも後輩諸君は、我々がそうであったように、連綿尽きぬ興譲の精神を受け継ぎ、新たな価値創造を目指して努力されるであろうことを期待して母校の紹介とさせていただきたい。