「草木塔」 起源諸説 自然の恵みへの感謝 (2012年2月25日朝日新聞)
みちのく週末 勝手に東北世界遺産 第23号(野村浩志・山形鉄道社長) より
草木塔について荒沢芳治さん(S54卒)の説明を聞く米沢市立三沢西部小の児童たち
豪雪地帯の山形県米沢市田沢地区。この冬は一段と雪が深い。バイオマス燃料の木質ペレットを燃やすストーブにあたりながら、2010年に発足した「おいたま草木塔の会」事務局の伊藤清幸さん(64)に、草木塔の話をうかがった。
米沢藩があった置賜地方に点在する独特な石碑。なぜかこの地域に集中して立っているのだ。そのわけが知りたかった。
「山作業をしていた人の安全祈願で建てたのかもしんねえ」と元農協職員の伊藤さんは見る。
藩の林があったこのあたりでは伐採した木材を人力や牛馬で川まで下ろし、浮かべて下流の米沢城下に運んだ。「木流し」と呼ばれる危険で過酷なその作業の拠点だった場所に、草木塔の多くが分布している。とはいえ、木流しは置賜独自のものではない。草木塔建立のなぞを解く決め手にはならない。
「山伏が村人に建立を勧めたのではないか?」
近くの田沢寺の副住職、荒沢芳治さん(51・S54卒)がひょいと顔を出し、またまた新説を唱えた。荒沢さんは草木塔の会の副会長。なぞは深まるばかりだ。
この地区には<草木国土悉皆成仏>という文字が刻まれている草木塔もある。意味を荒沢さんに尋ねると「人や動物だけでなく草や木にも魂があり、仏になることができる」と説いてくれた。
草木塔建立のなぞ解きもいいが、草木の魂を鎮魂・供養し、自然の恵みに感謝する心こそ大切なのだろう。
(野村浩志・山形鉄道社長)
現在発見されている最も古い草木塔は、田沢地区塩地平にある1780(安永9)年建立の塔だ。その8年前に江戸が大火に見舞われ、米沢藩邸が焼失。再建のためこの地から大量の木材が江戸へ運ばれた。当時の藩主は上杉鷹山。鷹山がはげ山と化した跡地に植林を勧めたことが、草木塔の期限に関連すると考える人もいる。
平成に入って、環境や自然保護の意識の高まりとともに草木塔建立の動きが全国に広がっているという。日系人社会の協力で地球の裏側の南米パラグアイにも立った。時代も国境も超える力を秘めた遺産なのだ。
高さ220センチ。江戸期最大の「梓山の草木塔」は1854(嘉永7)の建立
=山形県米沢市万世町梓山の山の神神社境内
米沢市教育委によると、江戸時代に建立された草木塔は全国に34基あり、福島県と岩手県に各1基、残りは全て置賜地方にある。江戸期最大の「梓山の草木塔」は高さ220センチだ。1990年の大阪花と緑の博覧会で置賜地方の草木塔が紹介され、全国に知られるようになったという。京都の三千院にも1993年に建てられた。山形市山寺に近年建てられた草木塔には、哲学者の梅原猛氏が讃を寄せている。(伊東大治)