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プロ野球で通算221勝 殿堂入り故皆川さん かつての仲間記念の碑
米沢 来月22日除幕 「偉大さ知って」 (2011年9月17日朝日新聞)

故皆川睦雄氏のレリーフ
市営球場の敷地内にある皆川氏のレリーフ。この近くに顕彰碑も建てられる=米沢市営球場

 プロ野球通算221勝を挙げて野球殿堂入り(エキスパート部門)を果たした故皆川睦雄さんの顕彰碑が、かつてのチームメイトらによって米沢市に建てられる。オールドボーイたちは「皆川さんの偉大さを若い人にも知ってもらい、活躍してほしい」と、期待している。
 皆川さんが所属した米沢西(現在の米沢興譲館)高野球部のOB会浩球会で「殿堂入りのお祝いをしよう」と話が出たのは、今年3月ごろ。当時一塁手で県高野連理事長も務めた高野譲さんを委員長に実行委員会をつくり、碑の建設を決めた。
 碑は高さ1.9メートル、横1.6メートル。上部は黒御影石の白球が埋め込まれ、「皆川睦雄顕彰碑 野球殿堂入り」と刻まれる。白御影石の台座部分には、皆川さんの経歴や主な成績が刻まれる。制作費は120万円で、米沢市が半額を補助する。「皆川球場」の愛称で呼ばれる米沢市営球場には、皆川さんのレリーフがすでにあり、顕彰碑もその近くに建てられる。来月22日に除幕式が予定され、夫人の真智子さんも出席し、殿堂入りのレリーフが市に寄贈される見込みという。
 高野さんは「家が遠いので、2年生の時にわが家に下宿していたことがある。高校時代から抜群の選手だった」と語る。
 皆川さんは1935年米沢市生まれ。東北大会で宮城の白石に敗れて甲子園出場は逃したが、54年に南海入りし、56年から8季連続で2桁勝利を記録。68年には31勝10敗、防御率1.61で最多勝利と防御率1位に輝いた。この年の皆川さんを最後にプロ野球では「30勝投手」は出ていない。引退後は阪神、巨人、近鉄のコーチを務め、2005年2月に他界した。今年1月、県内出身者として初めて殿堂入りした。米沢市は05年に市民栄誉賞、県は翌06年に県民栄誉賞を贈っている。

 

偉大な投手 地域の誇り 野球殿堂入り 故皆川睦雄さん(S29卒)顕彰看板お披露目

9月17日朝日新聞