藩校興譲館、米沢中学、米沢一高、米沢西高、米沢興譲館高と続く米沢興譲館同窓会公式サイト

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興譲館精神Part3

譲という。
何故にシナの古典にあったこの字句が藩学の名となったのであろうか。
興譲とは譲を興すという。譲とは何であろうか。
譲とは「ゆずる」と訓ずる。なにをだれに譲るのであろうか。
甲が甲の自我を主張し、乙は乙の自我を主張し、相対峙して譲るところがなければ、闘争は必至であろう。
闘争のはては征服か、然らずんば分裂が必至であろう。
闘争と分裂とはついに人生の帰結であろうか。
断じてしからず。それは人生の破滅である。
譲るとは単なる妥協ではない。損して得とる功利の道でもない。
生命の本源に帰って、生命の一なるを感得するの謂である。
人は己を捨てることはできぬけれども、母は己の食をさいてもわが子に与える。
母に己を捨てるな、無用な犠牲を払うなと教えるべきであろうか。
自といい他という。自と他とは分立する二つの存在でだけあるだろうか。
自と他とが分立するところには道はない。
自他ともに生きようとし、ともにしか生きられぬところに道が生ずる。
道とはそういうものである。
一切のものが、ともに生きるかどうかは論ずる余地があろう。
少なくとも共存の道が人生存続の不可避の道であることを否定する人はあるまい。
すでにして共存という。
共存は無制限な自己をただひたすらに主張する人々の間には成り立たぬ。
譲ることを知らぬ夫と妻は相争うて別れるのほかに術がなく、ただひたすらに、己の利を追うて他の利をかえりみぬ人々の間には、己の利をすら追う術がなくなるであろう。
小人は利にさとる。
何が利であるかは知らぬが、おのおの利と思う道を追求してみるがよい。
利は利と相剋矛盾し、ついに利は利でなくなるであろう。
己の利を追うの徒輩ですら、ついに己の利を得んとすれば、他人の利をも考えざるを得なくなるであろう。
小人と雖も、ついには利にさとらざるを得ない。
かくして利得の道も、ついに正直の哲学を生む。
「正直は最良の政策。」というのはイギリスの俚諺である。
人は誰でもある意味において利己主義者である。
主義というのはいいすぎであろう。
主義であろうとなかろうと、人は己を捨てることはできぬ。
ひたすらに己の利を求める人々と雖も、ついに己の利益を完うせんとすれば、譲の境地に達せざるを得ない。
興譲の譲は、しかしながら利己の究極の悟ではない。
しかし西から行こうと東から行こうと、共存が人生の避けられぬ姿であるかぎり、登りつめる道は一つであろう。
小人は利にさとる。
人誰か小人ならざるものがあろうか。
しかし、興譲の譲は、かゝる打算のはてに得られたる結論ではない。
子に食を譲る母親の愛の道である。
一本道に行き逢うて、どっちかが譲らなければ通れぬという打算からきたのではない。
己の生命をいとおしむが故に、人の生命をもまたいとおしみ、己為さんと欲すれば、人もまた為さんことを欲するであろうと思う心の発露である。
共存の道は、譲ることがなければ成り立たず、共存が人生存立の避けられぬ条件であるならば譲るの道はまさに人生存立の根本義である。
まことや、興すべき哉譲や。藩学の名を興譲というまた故ある哉。
理屈らしいものを述べた。
興譲の名は、かような理屈を通して得られたものであるとは思わぬ。
雪の深い一本道で誰かが出逢ったその時に、自ら避けて人を通そうと思う心は素直な人間の自然にとる道であろう。
利害の打算から生まれたのではなくて、これこそはまさに他人の生命を己の生命と同一に感ずる真乎の精神のあらわれである。
すべてが理論のはてに生まれるのではない。
すなおな精神は、すなおに真理を直覚する。
興譲の道こそは真乎として真の人間であった鷹山公が、これまた真の人間であった平洲先生の教にふれて、大悟せられた人生の存立の根本義である。
生命をして生命たらしめる興譲館精神の第一義は、興譲の道を得てここに実にされるのである。