藩校興譲館、米沢中学、米沢一高、米沢西高、米沢興譲館高と続く米沢興譲館同窓会公式サイト

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第6回 同郷人支える良き伝統―伊東忠太と米沢有為会―(2014年4月15日毎日新聞山形版)

 米沢を中心とした置賜地方には昔から、同郷人を愛し、後輩を育てるという良き伝統がある。その人材育成の代表的な全国組織が「米沢有為会」だ。第九代米沢藩主・上杉鷹山(1751〜1822年)を祖先に持つ上杉家第十七代当主・上杉邦憲さんが名誉会長を務める。 


伊東忠太

 1889年11月、東京の下宿屋で共同生活していた米沢出身の学生6人が発起人となって「有為会」(3年後に「米沢有為会」に改称)を設立した。そのうちの一人が、上杉鷹山によって創立された藩校「興譲館」で幼いころ学んだ建築家の伊東忠太(1867〜1954年)。「建築」という言葉を日本で最初に使った人物だ。平安神宮、明治神宮、築地本願寺など有名な神社仏閣の設計も手がけた。
 伊東は下宿屋でもリーダー的存在で「在京の同郷人に呼びかけて親睦団体を作ろう」と提案した。明治の頃、置賜地方から東京に出る同郷人は珍しかったという。伊東は結成の目的を会報「有為会雑誌」第1号に次のように宣言している。
 「人生最後の目的は幸福の2字にあり。しかし、それには寝食を忘れて苦学する覚悟が必要だ。我らは同郷人と共にこの道を求め、苦楽を分かち、将来の幸福を目指す」
 会の事業も、郷里の学生に学資を貸し与えること、学生が集まる都市に寄宿舎を建てること、雑誌を発行して交流を深め啓蒙することなどを決めた。

 米沢有為会は同郷人の心をとらえ、結成1年足らずで全国429人の会員数に達した。会員には興譲館の卒業生が多かった。地元から県外に出た会員は郷土愛、地元に住む会員は県外の同郷人を援助したいという思いがあった。
 1909年、上杉家から土地の寄付があり、念願の東京興譲館寮が開館した。開館式では「米沢が今日あるのは鷹山と平洲の徳による」とのあいさつがあったという。2年後には奨学金制度も始まり今年で104年になる。
 国立国会図書館の大滝則忠館長も米沢興譲館高出身で、米沢有為会の会員だ。大滝館長は「学生時代に東京興譲館寮に4年間お世話になった。その経験があって今の自分があると思う。米沢有為会は、先輩が次の時代を育てる大事な組織で、私もお手伝いをやらせていただいた」と語る。


1976年11月に行われた東京興譲館寮の寮祭で花笠パレードの後に記念撮影をした
=「米沢有為会会誌・復刊第39号」より

 米沢有為会結成の1889年から1943年までの55年間、会報「有為会雑誌」は毎月発行され続けた。伊東も当初は発行人と編集人を兼ね、その後も記事を数多く投稿し、表紙の絵もたくさん描いている。米沢有為会の米沢副支部長、梅津幸保さん(69)は「驚きだ。雑誌の発行にどれだけの情熱を傾けたことか」と強調する。
 米沢有為会は現在、1200人以上の会員を有する育英組織として発展。昨年は公益財団法人に登録された。全国に5支部あり、東京と仙台に二つの学生寮を管理・運営している。現在までに2000人以上の寮生が利用してきた。
 「有為会」を結成した伊東らの同郷人への思いは、126年続く人材育成事業として成長を果たしている。

【佐藤良一・S52卒】
第7回 人間の尊厳信じ教育―九里学園高・校是は「礼と譲」―につづく

4月15日毎日新聞山形版