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第3回 慕い慕われ 師弟愛―我妻栄と小学校担任―(2014年4月10日毎日新聞山形版)

 「恩師」という言葉、近年はあまり聞かれなくなった。「新民法の生みの親」と呼ばれる民法学者の我妻栄(1897〜1973年)と赤井運次郎の関係を知ると、恩師という意味が分かる。我妻は、第九代米沢藩主上杉鷹山(1751〜1822年)が創設した藩校「興譲館」の後身・県立米沢中(現県立米沢興譲館高)の卒業生。著書「民法講義」は今でも法律を学ぶ者の「百科事典」だ。

 我妻は米沢興譲小の4年から6年まで、赤井の担任するクラスに在籍した。米沢市にある我妻栄記念館の上村勘二館長によると、我妻は赤井のことを「今日に至る恩を受けた先生」と述べていた。
 小学校時代、教室での態度がずっと「乙」評価だったが、赤井になって「甲」に昇格した。我妻の母親も興譲小の教師だった。母親が理由を聞くと、赤井は「あなたのお子さんが授業中に教室をチョロチョロしているのは、自分が予習して分かっていることを同級生に教えているため。少しも悪意がなく世話好きだから甲にした」と答えたという。この言葉に親子で感激し、赤井が亡くなるまで師弟愛は続いた。


1964年、文化勲章を受章した我妻栄は妻と一緒に米沢に住む恩師の赤井運次郎を訪ね、勲章を見せた
=我妻栄記念館提供

 我妻は生前、赤井が話した次の言葉を心に刻んでいた。
 「教師というものは、仏像を作るようなものだ。出来上がるまでは、股にはさんだり、足をかけられたりして作るけれども、出来上がったときには、自らその前にひれ伏して拝むものだ」(「米沢における教師の系譜」)
 恩師の言葉を思い出しながら、我妻は次のように述べている。
 「教育家というものは、影の力となって、その人の形をつくっていくんだ。そしてつくられた人は、やがて世の中に出て、社会的に栄誉を得たりすると、自分の力で偉くなったように考え、教師の恩を忘れがちになる」
 そしてこう付け加えている。
 「仏師は自らその仏の前に拝み満足している。その教育者の気持ちを素直に、謙虚に、(赤井は)示したのだと思う」(同)
 1964年、我妻は文化勲章を受章した。その年に米沢に帰省した際、我妻はまっ先に赤井のもとを訪ねた。「先生のおかげです」と受賞を報告した。


米沢市立興譲小の「まがき文庫」内に掲示されている我妻栄の色紙=米沢市丸の内

 我妻の母校である市立興譲小の玄関には、上杉鷹山の名句「なせば成る、なさねば成らぬ何事も」の大きな額が掲げられている。心の徳を重視する「興譲」の精神に沿い、校歌にも「興譲の名は我らの誇り、鷹山公は我らの鏡」とある。
 同校に我妻が寄贈した「まがき文庫」がある。本棚の上には、我妻の直筆の色紙「守一無二無三(一を守り、二無く、三無し)」。真っすぐに一筋の道を歩んだ我妻の信念を表す。本の寄贈は、我妻の寄付で米沢興譲館高内に設立された「自頼奨学財団」を通じて、我妻が亡くなった今も続いている。
 赤井の思いは教え子の我妻栄に引き継がれ、さらにその後輩たちにも引き継がれている。

【佐藤良一・S52卒】
第4回 郷土を愛し 尽くす―つながる同窓生の気持ち―につづく

4月10日毎日新聞山形版