藩校興譲館、米沢中学、米沢一高、米沢西高、米沢興譲館高と続く米沢興譲館同窓会公式サイト

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米沢興譲館中 初代の栄冠・山形大会 10校から始まった
(2018年7月4日朝日新聞より)


100回大会の組み合わせ抽選会。
参加する48チームの主将が、それぞれ引き当てた番号をステージ上で読み上げていった
=6月28日午後、山形市双葉町1丁目の山形テルサ

 県立荘内中学(現・鶴岡南高)が東北大会に県勢として初参加してから12年後。1931(昭和6)年の17回大会で、県内の学校だけによる大会が初めて開かれた。記念すべき山形大会の始まりだ。

 野球のすそ野も徐々に広がり、このころになると、野球部を持つ学校は県内で10を超えるようになっていた。これまでは、ブロック代表で甲子園出場を目指す大会に直接参加する仕組みだった。野球をする学校が増えたことで、県大会の開催も可能になった。

 奥羽大会(山形県、秋田県、青森県)に送り込む山形県代表の2校を決めるため、10校が山形中学(現・山形東高)のグラウンドに集まった。大会は3日間。

 決勝は置賜勢同士の顔合わせだった。

 米沢興譲館中学(現・米沢興譲館高)が米沢商業学校(現・米沢商業高)を逆転の8-7で下し、優勝を飾った。ただ、秋田県で開かれた大祐大会に出場した両校は、ともに1回戦で敗退した。

 県高野連の資料によると、10校で始まった山形大会への参加校は徐々に増えていった。86(昭和61)年の第68回大会と、2000年の第82回大会での57校が過去最高だ。今夏の100回大会は、連合1チームを含めた49校の48チームが栄冠を目指す。

7月4日朝日新聞