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常に新しいものを志向・精英堂印刷社長・井上吉昭さん(64・S47卒)
(2018年2月2日山形新聞より)


 −業界の現状を踏まえ、求める人材、能力は

 「少子高齢化に加え、印刷物は一部デジタルメディアに機能を吸収されてしまっている。当社は日本酒のラベルや瓶を入れるパッケージからスタートした。その意味でデジタルメディアとの競合はそれほどでもないが、ほかの分野を得意としている印刷会社がパッケージ印刷に移りつつあり、競争能力は増している。黙っていても仕事が増えていく時代ではなく、つくり出すことを模索しなければならない。常に新しいものを志向し、旧来のものに安住しない社員を増やしたい。営業などはもちろん、工場の従業員も問題を見つけ、解決方法を考え、実行できる人材を増やしたい」

 −そのような人材を育成するために、どのように指導しているのか。

 「物を考え、表現し、相手に伝えるためには語彙力が重要だと考えている。自己研さんの第一歩は、新聞や本など印刷されているものをきちんと読むことだ。テレビやインターネット、SNS(会員制交流サイト)などは“瞬聞”なので残らない。書き込まれた印刷物を読んで、理解できる力を蓄えてほしい。当社は入社後の研修が1年間に及ぶこともある。知識はもちろん、提案の仕方、原価計算も学ぶ。テキストで学ぶのではなく、自分で調べ、リポートを提出させている」

 −自身が仕事上で最も影響を受けた人物は。

 「2人いる。大学卒業後、トヨタカローラ山形に勤めたが、その時の社長が鈴木重吉さんだった。急逝されたため、一度しか訓示を聞いたことはなかったが、ユーザーをベースにして仕事を組みたてる方だった。顧客を第一に、アフターフォローを大事にするという仕事の基本を体に染み込まされた気がする。その後当社に入り、先代社長の鈴木高明さんと仕事した。かつて、印刷会社の経営はどんぶり勘定だった。鈴木さんは銀行出身だったので計画管理、目標管理がないという経営の問題点がよく見えていたのだと思う。大まかな指示を受け、マネジメントシステムを作ったり、経営計画をまとめたりと大変だったが、最も勉強になった時期だった」

 私と新聞:情報の入り口として重要

 「主に内部での仕事が長かったこともあり、外でさまざまな経営者と話すようになったのは(社長に就いた)58歳から」。そう言う井上吉昭社長が参考にしているのは、山形新聞の「これぞ老舗〜山形に息づく」をはじめ、ほかの経営者の考えが書かれた新聞の特集や企画もの。必要であれば深く読み込み、コピーしたり切り抜いたりもする。

 メディアの媒体が増え、情報を得ようとすればさまざまな方法で簡単に調べることができる時代を迎えた。だが、井上社長は「知りたいと思っていないが、必要な情報はある」と強調する。そのために新聞の見出しを読み、書店で平積みになっている本をざっと見る。「そうしないと、偏ったことしか手に入らない。昔よりもさらに、情報の入り口として新聞は非常に大事だ」

★井上吉昭(いのうえ・よしあき)
昭和47年卒。東北大経済学部卒。自動車販売店勤務を経て、1983(昭和58)年精英堂印刷に入社。2008年に常務。12年4月から現職。飯豊町出身、南陽市在住。

★精英堂印刷
1915(大正4)年に創業し、52(昭和27)年に株式会社に、85年に本社と工場を現在地に移転した。「水なしオフセット印刷」技術を核に、パッケージ印刷などを幅広く手掛ける。資本金1億円。社員数は161人(昨年12月現在)。本社は米沢市八幡原1の1の16。