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選ぶための技術移転・高橋航太朗さん(32・H15卒) サモア・PCインストラクター
(2016年12月24日山形新聞より)


地方の村を訪れ、子どもたちと写る高橋航太朗さん(手前左・H15卒)

 私のサモア生活は残り1カ月を切りました。山形の友人たちから美しい雪景色の写真が届き始める中、サモアは再び雨期に入り、まとわりつくような暑さが戻ってきています。
 私が2年間生活したサモアは、温暖な気候や豊かな自然のおかげで、住居や食料に困ることはありません。主要道路から少し横道に入った村では、現在でも自給自足に近い生活を送っています。物資的には決して豊かとは言えませんが、のどかな景色と子どもたちの笑い声、昔ながらの生活様式や文化が残る地方の暮らしに、憧れや貴さを感じる日本人は私だけではないでしょう。
 こんなに幸せそうな国で、私が技術移転を推し進めることは良いことなのか、迷いがあったのも事実です。
 その一方で、首都アピアやその周辺では、急速に近代化が進んでいます。街には輸入品やおしゃれなカフェ、ナイトクラブなどが立ち並び、人々のライフスタイルやファッションも、地方の村々とは異なります。少し寂しさも感じますが、このような近代化も、 きっとサモアの人たちが望む変化なのでしょう。

 

 視野を広げ、世界に目を向けたとき、自分たちの意思にかかわらず、世界は常に変化していることに気付かされます。海面上昇で沈みそうな国があります。自国の通貨を廃止し、他国の通貨を採用した国があります。変化する世界の中で、自分たちだけが変化を拒み続けるのは容易ではないのです。
 助け合うこと、分け合うこと、陽気な歌と踊り、伝統的なタトゥーや衣装、装飾品。どれも素敵でサモアらしい。しかし、長い時間の中で繰り返し淘汰され、洗練されていくものが文化であるならば、ときとして失われていくものもあるということです。大切なのは、その取捨選択を自分たちで行うこと。そのための教育や技術移転だと信じて、私は活動を続けてきました。
 帰国が目前に迫った今は10年後、20年後、50年後の、今よりマナイア(現地語ですばらしい)になったサモアを訪ねる日が楽しみでなりません。

■高橋航太朗(たかはし・こうたろう) 米沢興譲館高から北海道情報大、東北電子専門学校に進み、米沢市内でシステムエンジニアとして勤務、2008年から新庄東高教諭となり、現職のまま国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊に参加し、今年1月にサモアに派遣された。職種はPCインストラクター。米沢市出身、32歳。

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12月24日山形新聞