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バルトークの回想録・遺族と親交重ね翻訳 米沢の村上泰裕さん(S56卒)「音楽に背押された」
(2013年11月6日朝日新聞山形版より)

村上泰裕さん
バルトークの楽譜を前に語り合う村上泰裕さん(S56卒)とペーテルさん=2009年8月、米国・フロリダ

 ハンガリーの大作曲家ベーラ・バルトーク(1881〜1945)の素顔を伝える回想録が、米沢市の元教諭・村上泰裕さん(51・S56卒)の翻訳でこのほど出版された。吹奏楽少年時代に憧れて35年、村上さんはバルトークの遺族の支援に力を注ごうと中学校を3年前に退職。楽譜の構成や出版を通じて、音楽の魅力を伝えようと努力している。

バルトーク
ベーラ・バルトーク(1881〜1945)

 米国在住の次男ペーテルさん(89)による「父・バルトーク」(スタイルノート刊)。バルトークは第2次世界大戦中にナチス台頭に抗し米国に亡命。終戦直後に白血病で没した。同書は、自然を愛し民謡を源泉とする新しい音楽を創造した作曲家を、老境に達した息子が回顧と哀惜に満ちた文章でつづった一冊だ。
 村上さんがバルトークに夢中になったのは、吹奏楽少年だった高校時代に聞いた舞台音楽「中国の不思議な役人」がきっかけ。緊張に満ちた音、複雑な心理描写に心を奪われ、楽譜や資料を取り寄せ調べ始めた。中学の英語教諭になった後も研究を継続。各国で出版されている楽譜を見比べ、気づいた疑問点をメールで質問したことから、フロリダのペーテルさんとの親交が始まった。
 ペーテルさんは戦後米国で録音技師をして名をはせ、楽譜校訂などで父の偉業を伝える活動を続けてきた。しかし近年、協力関係に会った大手出版社との不和などで経済的に苦境にあることを村上さんに告白。「バルトークの米国での著作権は2015年末で切れる。彼の年齢を思って一刻をあらそった」。離職の理由を村上さんはそう話す。
 晩年不遇だったバルトークだが、友人らの金銭的な支援は断り、誇り高く生きた。ペーテルさんも音楽を通じて父の精神を伝え続ける。ふたりに影響され、新たな道に踏み出した村上さん。演奏機会の少ない歌曲などの紹介を次の目標にする。「音楽の力に背押された」と感じている。 (戸田拓)

伝えたいバルトークの魅力 米沢の元教諭、回想録を翻訳(朝日新聞デジタル:動画あり)

村上さんが手がけるバルトーク関連のサイト:バルトーク・レコーズ・ジャパン

11月6日朝日新聞山形版