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大河ドラマ「八重の桜」高まる期待 関係者子孫ら思いひとしお・高橋捷夫さん(S37卒)
(2012年9月15日山形新聞)

九里広志同志社校友会県支部長と懇談する高橋捷夫さん
九里広志同志社校友会県支部長と懇談する高橋捷夫さん(左)=米沢市

 新島夫妻と米沢の縁 光が当たれば・・・
  来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・新島八重が一時期を過ごした米沢市。放映開始まで半年を切り、市民の間で「米沢のPRにつながれば」との期待が高まっている。元中学校教諭の高橋捷夫さん(68・S37卒)=同市中央7丁目=は、新島夫妻と浅からぬ縁をもつ甘粕家の子孫だけに、その思いはひとしおだ。
 会津藩士の娘八重は、戊辰(ぼしん)戦争で敗れた後の1年ほどを母親らと米沢で過ごした。その後、兄を頼って京都に行き、同志社大創設者である新島襄と結婚した。
 その襄は1882(明治15)年と86(同19)年の2度にわたり米沢を訪問。82年の訪問の際には、高橋さんの先祖筋である甘粕三郎宅を訪れ、米沢の風俗などを聞いて詳細な記録を残している。三郎の兄・鷲郎は大阪外国語学校の教師を務めており、新島夫妻とも知り合いだったようだ。八重は襄の死後、三郎の娘(実際は鷲郎の子)初子を養女に迎えている。
 「上杉鷹山公と郷土の先人を顕彰する会」に所属する高橋さんは、自身のルーツである甘粕家に以前から興味を持ち、資料調査などを続けてきた。先日は同志社校友会県支部長の九里広志九里学園高校長と懇談し、甘粕家の流れなどを説明して歴史談義を交わした。
 「八重さんが甘粕から用紙を引き受けたことを知らない人も多い。こうした機会に米沢の歴史に関心が少しでも向いてくれるといい」と高橋さん。九里校長も「米沢の歴史を改めて見直すいい機会になっている」と語っている。

9月15日山形新聞