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S38卒ネパール紀行-2 ネパール雑感  安田道隆さん


ネパール語訳の「むすんでひらいて」を子供たちに教えている安田道隆さん

 中條さんから旅行記を書けと言う。そもそも文章を書くのが大の苦手な私には無理な注文だし、大体私が旅に行くときは、旅先での自分と違った非日常的なことやものに出会いそのときその場で楽しんだり驚いたり(或は不快になることも含めて)経験することが楽しいので、帰ってからは何を見て何が良かったかはほとんど忘れているのである。従って旅行記なぞと言う大それたものを書く資格はもともと私には無いと言う事に一ヶ月掛けて気がついた。

  そこで、もともとこの旅の目的は、伊田君の名を冠した学校の訪問であるから、それについてと、ネパールについての若干の感想を書くことで勘弁してもらうことにした。
 ネパールに着いて三日目、カトマンズから車で南下すること約3時間のチトワンという町の畑に囲まれたところにその学校は「IDA’S MODEL SCHOOL」の看板を掲げてポツンとあった。ネパールピィースウエーブのオーナーであるプレムさんに案内されて行くと、その学校の前にいすを並べて約5,60人の子供とその父兄たちが座っていた。日本で支援活動を行っている伊田君や我々を歓迎することと、プレムさん達が子供たちに定期的に配っている、ノートや学資のために集まったのである。

  子供たちは、みな小ざっぱりしていて明るく賑やかであった。出しゃばりも居ればはにかみ屋さんも居る、どこの国の子も大差は無い。学校は日本的尺度で言えばおよそ学校と言える代物ではなく、一間半四方の教室が三つで、黒板が壁面にあって、前に木机があるだけのなんとも素っ気無いものであった。しかし、伊田君の話によれば、前は建物が無く野外教室で、トイレも最近つけたとのことである。近々二階建ての校舎を予定しているという。少しずつ前進しているのだ。考えてみれば年間一万円の支援で子供二人の一年間の学資と生活費になると言う我々の支援効率は抜群ではないか。日本での支援の輪が更に広がることが望まれる。

 ネパールに滞在中、埃っぽくゴミゴミした印象ではあったが、その中に何か懐かしさを感じた。5,60年前のまだ貧しかった日本に似ているからかもしれない。 子供は親以外の大人の言うこともしっかり聴いていたし、女性は男を一歩下がった形で立てていた。家族の中では家父長的で、外に出た兄弟姉妹は何かというと集まり、そんな時その家の嫁さんは一歩下がっているように見受けられた。これらは、善悪はともかく、日本が脱ぎ捨ててきた風景である。また、かつて日本の若者が、アメリカにあこがれたと同じように、日本に憧れ、北海道で暮らしていると言う若い実業家は更なる事業拡大に目がキラキラ輝いていた。こういう人達がかつての日本のように国を盛り立てていくのだろう。

  以上のようなことを断片的に感じながら、それこそ仕事や旅行で一人で何十回と海外に出ている伊田君のらしからぬ失敗談や、櫛田君の知識欲旺盛な一面に感心し、また出されたものをペロリと完食する二人の胃袋に圧倒されながら、やっとこさっとこ付いていった私の旅は終わったのである。