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S38卒ネパール紀行-1 ピース・ウェイブ・ネパールの学校を訪ねて  伊田和郎さん


学校前でセレモニーの時、子どもに小切手を渡している伊田和郎さん(S38卒)

  私がネパールのピース・ウェイブ・ネパールというNGOが持っているちょっとした学校のスポンサーになってから14年になる。このNGOは、ネパールのバラットプールを拠点にした、貧しくて学校へ行けない子供や、病院に行けない人を金銭的に支援する政府公認のNGOである。私がスポンサーになってからは、毎年寄付金を集めるキャンペーンを行い、現在は平均して10万円程送金している。日本とネパールの生活レベルの格差が大きく、日本のお金は、ネパールでは大きな価値を持ち、1口5千円で、貧しい子供を1年食べさせ学校に行かせることが出来る。少なくても14年前にキャンペーを始めた時には、そうであったが、今では両国の生活水準の差が縮まり、ネパールでの円の購買力は、4倍程までになっているようである。

  私がこのNGOに協力するようになったのは、私も、このNGOの会長も、ホームステイを通して国際親善を推進しようというサーバス(SERVAS)というNGOのメンバーであったことによる。私が1998年にサーバス関東の支部長をしていた時、ネパールのサーバスのメンバーであるプレム・シュレスタさんが私のところに泊まりに来たのであるが、この方は、ピース・ウェイブ・ネパールという別のNGOの理事長さんで、サーバス関東のネットワークを通して、ピース・ウェイブ・ネパールの為に寄付金を集めるキャンペーをやってもらえないかとの協力依頼を暗に為され、私が賛同し、毎年1回サーバス関東のネットワークを通して寄付金を集めるキャンペーを行うことになったのである。サーバス関東の役員は、6年で終わったが、その後も現在に至るまで協力を続けている。協力者は、38会の中でも見つかり、安田道隆氏、櫛田幸弘氏、中條淳子さんには毎年協力して頂いている。

  私は10年ほど前、開校式に呼ばれてこの学校を訪れているが、マオイストによる政治的運動も終わり、一旦安定した状態になったので、安田氏、櫛田氏と一緒に5月11日から5月22日まで、中国、ネパール、カンボジアの旅行を行って来た(中條さんは、母の看病で行けないとのことであった)。

次にネパール国内での主な動きについて記そう。

5月14日
プロペラ機でカトマンズの飛行場から素晴らしいヒマラヤ山脈を1時間ほど見てから、学校のあるバラットプールへレンタカーで移動。ピース・ウェイブ・ネパールの事務所で歓迎パーティー。10年前の先生は変わり、新しい2人の先生になっていた。櫛田氏が自分で作った英語で我々3人のことを紹介する。安田氏が「お鷹ぽっぽ」を理事長のプレム・シュレスタさんに贈呈。私もプレムさんが好きな日本のものをお土産に贈呈。学校のこと、ネパールの政治のことなど色々話す。10年前に来た時は、幼稚園児だけであったが、今はその他に小学校3年次まで指導しているとのこと。その後は、近くの公立の学校に転入していくとのことであった。授業は、朝9時から午後4時まで行われている(1時間の昼休み)。

5月15日
朝学校に行くと「歓迎セレモニー」のため、生徒やその保護者が既に校庭に集まっていた。安田君が、ネパール語訳の「結んで開いて」を子供に教えたり、私が手品を見せたり、この学校で小3までいて他校に編入し1番になった生徒の挨拶があったり、私が10年前「開校式」で教えた「夕焼け小焼け」の子供の合唱があった。10年間ここの先生により教え続けられ、子供が歌い続けたということは、驚くべきことであるが、長い間にメロディーが少し変わっていたので、我々3人で正しいメロディーで歌って聞かせた。この歌が入った日本の童謡のCDを寄贈したので、これからは正しいメロディーからおおきく逸れることはないだろう。ついでに「花」、「赤とんぼ」「故郷」「荒城の月」等を3人で歌って紹介した。 その後は、我々3人が、子供に1人づつ小切手、カラーペンなどの贈呈を行った。私がまとめて送ってやったお金は、1年で4回に分けて貧しい子供の親に寄付されるのであるが、 今回は、我々3人の臨時の寄付があったので、少しの増額があった。 「歓迎セレモニー」の後、我々からの奨学生が特に多い学校を訪問した。こちらから送ったお金は、ピース・ウェイブ・ネパールの学校だけでなく、近くの小学校(5年)、ジュニア・ハイスクール(3年)、ハイスクール(2年)、シニア・ハイスクール(2年)に通う貧しい生徒にも寄付される。小学校の段階から、英会話が教えられ、生徒は案外自由に日常会話が出来るようになっているようであった。ネパール語は、日本語と語順がほとんど同じなのであるが、このような小さいうちからの教育の違いで、若いネパール人はほとんど誰でも基本的な日常会話が出来るようになっているようである。 夕方は、この地方の原住民であるタルー人の民族ダンスを鑑賞した。インド国境近くのタライ地方に住むタルー人は、ネパールの主なエスニックグループの一つであり、共和制後も自分たちのアイデンティティーを主張している大きな勢力となっている。

5月16日
朝早くチトワン国立公園で、象に乗って2時間ほど、鹿、クジャク、サイ、猿などの動物を探しながら散歩した後、お釈迦様の生誕地とされるルンビニに向かう。お釈迦様の誕生日の前日で、生誕祭の準備が行われていた。お釈迦さまが生まれた場所といわれる場所を見たり、インドマウリア王朝のアショーカ王がBC3世紀に建てた石柱を見学。この石柱に刻まれているブラフミー文字は、インド、ネパールで使われているデーバナーガリ、タイ、カンボジア、ビルマ、ブータン、チベット、インド南部のドラビタ系文字の元になったものである。ドイツ、フランスの仏教寺院を含め、色んな国の仏教寺院を見学する。日本のものは、日本では見られない大きな白いストウ―パの寺院であった。多くの寺院があるエリアは、丹下健三により構想されたとのことである。

5月17日
飛行機でカトマンズに戻り、パタンを見学。1768年にゴルカにいたシャハ家によりネパールが統一される前の、カトマンズの先住民であるネワール人の旧王国であり、世界遺産になっている古い仏教寺院が沢山残っている。シャハ家から出てきたラナ家は長い間、王国の政治的実権を握っていたのであるが、マオイストの運動、その最終段階の2004年4月のカトマンズでの民衆の大規模な街頭運動により消滅し、2008年に正式に共和制の国家となっている。色んな政党が政権参加を巡り確執している状態であるが、ネパールは本格的な近代化、民主化に向けての大きな政治的枠組みを手にしたといえよう。

5月18日
ネパールで最も古い仏教寺院であるスワヤンブナート、ネパールで最も大きいヒンディー教の寺院パシュパティナート、チベット仏教寺院のブダナート等を見学して、空路カンボジアのアンコールワットへ向かう。

今回の学校訪問は、プレム・シュレスタさんの手配で、前回の「開校式」の時よりも、色んなイベントな企画され、色んな人との出会いがあり、密度の濃い旅行であった。今回が初めての海外旅行であった櫛田氏にとっては、色んなものが興味深く、またピース・ウェイブ・ネパールの実際のボランティア活動が分かってきて、このNGOへさらなる協力をする気になったようである。ピース・ウェイブ・ネパールにも、学校増設の計画があり、将来のボランティア活動の新たな発展を期待させる旅行であった。