藩校興譲館、米沢中学、米沢一高、米沢西高、米沢興譲館高と続く米沢興譲館同窓会公式サイト

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藩校興譲館の跡地に記念碑建立(2008年9月9日)
跡地記念碑

平成20年9月9日に米沢市中央二丁目(元細工町)の興譲館跡地で除幕式が行われました。
写真右は従来からの石碑、左が新記念碑

河北新報2008年09月11日木曜日掲載記事
藩校の歴史を後世に 「興譲館」跡地に記念碑 興譲館の跡地に建立された記念碑

河北新報記事


米沢藩9代藩主の上杉鷹山が設立した藩校「興譲館」の歴史を後世に伝えようと、米沢市内の跡地に市民有志が記念碑を建立し、9日、除幕式が行われた。
興譲館は1776(安永5)年、将来を担う人材を育成するため、鷹山が江戸時代初期からあった学問所を再興する形で設立。鷹山が師と仰いだ儒学者・細井平洲が命名した。明治時代には「洋学舎」を併設し、国際化教育にも力を入れ、米沢から多くの人材を出す原動力となった。
記念碑は、高さ約2.8メートル、幅約2.6メートル。興譲館の歴史や設立当時の外観図、鷹山、平洲の肖像画が刻まれている。今年2月に市民有志が実行委員会(委員長・上杉季雄米沢上杉文化振興財団理事長)を結成し、寄付金を募って完成させた。 除幕式で、上杉実行委員長は「人材育成に力を入れ未来に懸けた先人の思いが、市民にも広まることを期待したい」とあいさつした。

山形新聞2008年09月10日水曜日掲載記事 藩校興譲館の志 継承

米沢藩主第九代の上杉鷹山(治憲)が設立し、鷹山の師・細井平洲が「興譲館」と命名した藩校興譲館の跡地(現在の米沢市中央二丁目)に、市内の有志らが記念碑を建立し、九日、現地で除幕式を行った。
藩校興譲館は1776(安永5)年、藩の将来を担う人材を育成する狙いで、鷹山が学館の再興を命じて、江戸・元禄時代の学問所と同じ場所に完成させた。初代藩主上杉景勝の重臣・直江兼続が「禅林文庫」を興してから、百十余年ぶりの学館再興となった。
鷹山、平洲の熱い思いから設立された藩校舎は、米沢市民に受け継がれ、明治初期には英国人教師チャールズ・ヘンリー・ダラスを迎えて「洋学舎」を併設し、いち早く国際化教育を取り入れるなど、米沢から多くの有為の人材を輩出する原動力となった。
こうした“米沢文教発祥の地”を残すことで先人たちの意思を未来に受け継ごうと、市内の有志が実行委員会(上杉季雄委員長)を組織、建立費を広く募って完成させた。
記念碑は蔵王石でできており、高さ2.8メートル、幅約2.6メートル。正面には跡地の説明文とともに、設立当時の藩校の絵や鷹山、平洲の肖像画などを記した。
除幕式には実行委員会のメンバーや協賛者など約70人が出席。上杉季雄委員長が「この日は先人がいかに努力して学館を興して学び、世の中を開いていったかの証し」と語り、名誉会長で上杉家の17代当主の上杉邦憲氏は「学問を大事にしていく精神がここから永久に続くことを願う」とあいさつした。

山形新聞記事